食人鬼


 西暦三〇〇五年。種子島より飛び立ったH−4有人ロケットは初めて火星軌道上に達した。その瞬間、日本中の人々は万歳三唱し、その大いなる成功を喜びあった。
 だがその二日後。午前の定期通信を最後にH−4ロケットからの連絡は途絶え、消息不明となった。
 人々は様々な手を尽くしたが、通信が復活することはなかった。何か突発的なトラブルが起きたに違いない。人々はそう考えた。
 三ヶ月後。H−4ロケットの探索は打ち切られた。消息を絶ってから三ヶ月が経過した現在、ロケットとその乗組員が無事でいる可能性は極めて低かった。
 二年後。通信センターに、皆が完全に忘れかけていた通信波が届いた。信号は、二年前に消息不明となっていたH−4ロケットのものだった。
 ロケット、乗組員ともに無事。ロケットからの通信はそう告げていた。日本中が再び歓喜で彩られた。
 一ヶ月後。H−4ロケットは地球に帰還した。人間をやめ、食人鬼(グール)と化した乗組員とともに。

 逃げ場を失った南足(なたりー)は部屋の隅に追いつめられていた。顔を上げる。目の前には何とも醜怪な食人鬼が涎を垂らして立っていた。
 地球へ降り立った食人鬼たちは早速人間たちを襲いはじめた。彼らは人間を噛み殺し、そしてその身体を骨も残さず食べ尽くした。
 食人鬼たちは巧妙だった。彼らは表向きには人間を装い、手始めに自分たちが人間であった頃の家族や知人から餌食にしていった。身体は全部食べてしまうので、死体は残らない。H−4ロケット乗組員たちの周囲で行方不明事件が多発していることに警察が気付いた頃には、彼らはすでに日本の各地に散り、闇に潜んで警察の捜査網から洩れ出していた。
 元乗組員の家族の中でただ一人、南足だけが彼らの手から逃れていた。彼女は、食人鬼たちの生態を少なからず知っていた。食人鬼たちは多少の危険を冒しても南足を食い殺そうと考えるはずだ。だから南足の周囲にはたくさんの護衛がつけられていた。
 だが今、護衛たちは全員食人鬼の奇襲によって噛み殺され、南足はただ一人で食人鬼、それも2年前にはパパと呼んでいた男と対峙することになったのだった。
「どうして? どうしてなの、パパ!」
 南足は食人鬼に向かって叫んだ。それは心からの叫びだった。
「どうして、食人鬼なんかに……。いったい、宇宙で何があったの?」
「生きるためだ」
 食人鬼が、はじめて人間らしい声を発した。
「地球との通信が途切れ、我々は宇宙を漂流することになった……」
 食人鬼はじりじりと南足に近づく。
「食糧は十分にあった。だが一つだけ、どうしても足りないものがあった……」
「どうしても足りないもの?」
 食人鬼は小さく頷いた。
「カルシウムだ」

「宇宙空間では地球上よりも早く体内のカルシウムが失われる」
 食人鬼の目はぎらぎらと輝いていた。
「そして、カルシウムは人体に摂取するのが難しい成分でもある。宇宙空間でカルシウムを補充するのは、とてつもなく困難だった」
 その瞳の輝きは、狂気の輝きだった。
「だから我々は体質を変え、生き延びるしかなかったのだ。そして今、人間だった頃に足りなかったカルシウムを、お前たちをエサにすることで補充し続けているのだ……」
 南足の肩に、食人鬼の手がかかった。
「おしゃべりは終わりだ。お前も、私のカルシウムになれ」
 顎が大きく開かれる。鋭い歯が南足に迫った。
 南足は目を閉じ、顔を背けた。そして大声で、叫び声の代わりに思ったことをぶちまけた。
「だったら人間じゃなくて、青魚でも食べてたらいいじゃないの! 青魚は肉に比べて良性のタンパク質とカルシウムをたっぷり含んでいるのよ! それにDHAも豊富で身体にいいんだから!」
 食人鬼の動きが止まった。

 数日後。
 食人鬼たちは早朝の漁港でサバやイワシを食べ漁っているところを確保され、永遠にカルシウムを必要としない存在に変えられた。

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