2001年年越しの旅


 それは大晦日の、年明けまでもう数時間、といった時刻だった。
「突然ですが、あんたには死んでもらわなあかんねん」
 俺の目の前に現れたそいつは、いきなりそう言った。
「……お前は誰だ」
「死に神でおま」
 今までに関西弁の死に神というのが漫画か映画で出てきただろうか。少なくとも俺の記憶の中にはなかった。
 とりあえず思い当たる中の最も建設的行動として電話に手を伸ばした。
「ちょ、ちょいと待ってーな! どこに電話する気や?」
「警察」
 自称死に神とやらは俺の手を掴み、受話器を置いた。
「……あんた、信じてへんやろ」
「当たり前だ」
 むしろそんな戯れ言を信じる方がおかしい。俺はそいつを睨み付けた。
 改めて男の姿を見る。黒いゆったりとした服を身にまとっている。いや、服というよりは衣といった方がいいだろうか。頬はやせこけ、青白い顔をしている。衣からわずかに覗く首や腕はまさに骨に皮が張り付いているよう。まさに、絵などでよく見られる死に神の姿である。
「で、死に神だとして、なぜ俺のところにやってきた」
 俺がそのように質問すると、死に神は待ってましたとばかり身を乗り出した。
「それでんがな、よう聞いてくれました。実はな、あんた、ほんまはとっくに死んどらんといかんのや」
「はあ?」
「いや、な。あんた、ほんまは今年の六月に交通事故にあって死んどるはずなんや。それが、あんたの担当やった新人がヘマしましてなあ。失敗しよったんや」
 俺は一つの出来事を思い出した。そういえば今年の六月頃、俺の歩いていた歩道に居眠りトラックが突っ込んできて危うくひき殺されそうになったことがある。おそらくあれがそうだったのだろう。
「それでなあ。このままやと実質狩り入れ数が本年の狩り入れ予定数に満たへんのや。だから、あんたには年を越える前に死んでもらわなあかん。最近上の監査が厳しくてなあ。水増しもなかなか難しいねん」
「んなあほな……」
 思わずつられて関西弁になる。死に神の世界がそんなに世知辛いなんて……いや違う、俺が本当はすでに死んでいたなんて。
「そんなわけで、死んでもらいま」
 それだけ言うとどこからともなく大きな鎌を取り出した。電灯の光が刃に当たり、ぎらりと輝く。
 俺ははじめて驚き、後ずさった。
「お、お前、そんなもの取り出してどうする気だ!」
「どうするって、だからあんたに死んでもらうんや」
「……コントじゃなかったのか」
「アホさらせ!」
 いきなり斬りかかってくる。俺はとっさに身をかわした。
「何するんだ! 危ないだろ!」
「うるさいわい! 大人しく去ね!」
 鎌を振りかざし、迫ってくる。俺はまた後ろに下がったが、その足にテーブルが引っかかった。
「あっ!」
 下がる勢いを殺せず、床に倒れる。俺の頭上に、死に神野郎の陰気な顔が被さった。
「ほんじゃあ、お覚悟……」
 そのまま鎌を振り上げる。もう駄目だ。俺は覚悟を決め、目を閉じた。
 そのときだ。
「ただいま臨時ニュースが入りました。先日より大きな活動を続けていた憂国団が議事堂及び内閣府を占拠。クーデターを成功させました。憂国団は革命の手始めとして一年三百六十五日制を廃止。一年を切りのいい千日とし……」
 つけたままだったテレビから、緊急ニュースが流れた。死に神の動きが止まった。俺と目があう。二人とも、無言だった。
 しばらく沈黙が続いたあと、死に神はふいに生き返ったかのようにテレビにしがみついた。
「な……んなアホなあ! そんなこと、上からは何も聞いてへんでええええ! ええと、こーゆー場合はどうしたらいいんやったっけ」
 懐からマニュアルのようなものを取り出しパラパラとめくっている。
 俺はしばらくその光景を見つめていたが、ふと気がついて、玄関へと向かった。もちろん音を立てずに。
 死に神はまったく気付かなかった。俺はコートを引っかけると、ゆっくりと部屋から抜け出した。

 あの日以来、死に神は俺の家へやって来ていない。またいつやってくるか気が気ではないのだが、もしかすると、もうやってこないのではないか、とも密かに思っている。
 大晦日にクーデターを成功させた憂国団は体勢を立て直した政府により、確実に駆逐されつつある。間もなく政府は実権を取り戻し、元の社会秩序が戻ってくるだろう。そうなれば一年はまた三百六十五日に戻るだろう。そして、年はもうすでに変わってしまっているのだから。

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